橫山 剣(よこやま けん) - 唄・コーラス・作詞・作曲・編曲・キーボード → 橫山
小野瀬 雅生(おのせ まさお) - エレキギター・キーボード・コーラス他 通稱のっさん
小野瀬雅生ショウ(CKBの高橋利光も參加)のリーダーとしても活動(dòng)。容姿的に似たリリー・フランキー、安斎肇らと交流がある。ファンである映畫監(jiān)督アキ・カウリスマキに、ファン・レターも兼ねて、グループのCDを送っていたところ、カウリスマキに気に入られ、「ハワイの夜」と「Motto Wasabi」が、映畫「過(guò)去のない男」のサウンドトラックに使用された。
新宮 虎児(しんぐう とらじ) - エレキギター・キーボード 通稱ガーちゃん
洞口信也と共に、The MOJOSの一員としても活動(dòng)。
中西 圭一(なかにし けいいち) - サックス・フルート 通稱ジャッカル
ステージ上では“スター”とも稱され、(ある意味、ネタとして)讃えられている。
洞口 信也(ほらぐち しんや) - ベース・叫び 通稱ドナルドダックダンシンヤ(略稱D.D.D.S)
新宮虎児と共に、The MOJOSの一員としても活動(dòng)。
廣石 恵一(ひろいし けいいち) - ドラム・パーカッション・バンドマスター 通稱K-1(ケーワン)
元杉山清貴&オメガトライブのメンバー。橫山とは長(zhǎng)年のバンド仲間。一時(shí)期作曲のみに専念し、バンドでの音楽活動(dòng)をあきらめかけていた橫山を引き戻した人物。
高橋 利光(たかはし としみつ) - キーボード・アレンジ 通稱ヨン様、トシちゃん
“ヨン様”の由來(lái)は、一時(shí)期ソフトなパーマ、色の薄いサングラス、そして微笑み(これは不変)と、ペ・ヨンジュンにその見た目がよく似ていたことから!哎伐悭辚蕞`ル”(CKBの同名曲の一節(jié)“シャリマールは よい男”に由來(lái))と呼ばれていた時(shí)期もある。小野瀬雅生率いる小野瀬雅生ショウの一員でもある。
菅原 愛子(すがわら あいこ) - 唄・コーラス 通稱sgw(エス・ジー・ダブリュー)
地元のクラブで活動(dòng)しながら橫山剣の奧方が店長(zhǎng)を務(wù)める洋服店でバイトしていたところ、『パパ泣かないで』のデュエット相手として抜擢され、その後正式加入。ヒップホップクルーI.S.O.P.でも活動(dòng)。
スモーキー・テツニ - 唄・コーラス 通稱ミスターGT
CKBの前身「CK's」のメンバーでもあった。
河合 わかば(かわい わかば) - トロンボーン・フルート
BIG HORNS BEE(米米CLUBのホーンセクションとして知られる)の一員でもある。
澤野 博敬(さわの ひろのり) - トランペット・フリューゲルホーン 通稱澤の鶴
CKBの前身「CK's」に在籍していた時(shí)期あり。
伊達(dá) 弦(だて げん) - パーカッション
オルケスタ・デ・ラ・ルスにコンガ奏者として在籍(1987年 - 1992年)。1995年から1999年にかけては、オルケスタ・デル・ソルに參加していた。
小簡(jiǎn)介
初期には、60年代、70年代の日本の歌謡曲の技法の中から「かっこいい要素」を抽出して作られた楽曲(及びボーカル橫山の唱法)が多かった。また、楽曲が昭和風(fēng)ではなくても、歌詞の內(nèi)容で、昭和の文化をリスペクトしているものが多く、とくに『かっこいいブーガルー』中の「昭和にワープだ!」という歌詞は、大きなインパクトを與えた。また「昭和レジデンス」の歌詞中では、「昭和昭和昭和昭和昭和」と昭和を連呼している。
また、リーダーの橫山剣が、「自分たちのバンドは、平成のビート歌謡バンドとでもいいますか・・」と発言したり、「ヨコワケハンサム」を稱える歌詞や発言を繰り返し、イベント名にまで採(cǎi)用。その他にも橫山は、「現(xiàn)在は昭和○○年、昭和は続いている」と言ったり、コラムやインタビュー等で昭和時(shí)代の文化を稱える発言を繰り返した。
そのため、音楽的にも交流があった渚ようこ、大西ユカリらとともに「昭和歌謡ブーム」の一員として広く認(rèn)知された。だが、雑誌「SWITCH」の2003年8月號(hào)の特集「昭和歌謡と呼ばないで」に収録された、橫山へのインタビューにおいて、橫山は「クレイジーケンバンドのサウンドは、もっと広いものである」と、「昭和歌謡」と決め付けられることへの嫌悪感を表明。実際、その後の活動(dòng)においては、楽曲に「昭和的な要素」は(おそらく意図的に)薄くなってきている。
近年の橫山は、「かつては、サービス精神もあって『昭和、昭和』と言っていたが、それが誤解を呼んだ。そういう(「昭和歌謡」のような)音楽が好きな人たちは、そればっかりやっている人たちを聴いてください」「自分たちの音楽は、もっと音楽的に耳の肥えた人たちに聴いてもらいたい」とまで発言している。
だが、初期の活動(dòng)においては、橫山はあきらかに、本気で「昭和がマイ・ブーム」であったと思われ、それがあまりに成功してしまったゆえに、それによりつけられた「レッテル」に、次第に反発を覚えるようになったと思われる。
大事件
1997年に結(jié)成。當(dāng)初は橫山の適當(dāng)な命名で「ゲロッパ1600GT」(略稱ゲロG)というバンド名だった。現(xiàn)在の名前を提案したのは小野瀬で、「J・ガイルズ・バンドのような、個(gè)人名のついたバンド名がいいのでは」ということから、「クレイジーケンバンド」になった。
1998年にアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』でデビュー。
2002年にシングル『GT』およびアルバム『グランツーリズモ』で注目される。懐かしさと新しさが同居した、不思議かつかっこいいポップソングと評(píng)判となる。またこの時(shí)期前後は、自らの曲のリミックスを著名リミキサーに依頼し、それを頻繁に使用したメンバーによるクラブDJが盛んに行われていた(下記ディスコグラフ!12インチリミックスアルバム」參照)。
2005年に、2002年に発表されたシングル曲『タイガー&ドラゴン』を元に、ドラマ「タイガー&ドラゴン」が制作・放送される。このドラマではメンバーの洞口信也と廣石恵一が、舞臺(tái)の淺草演蕓ホールの掃除夫として(連続ドラマ版のみ)レギュラー出演した。主題歌となった『タイガー&ドラゴン』はシングルが再発売され、更にiTunes Music Storeが開始されてから1週間以上、iTunes Music Storeのランキングにおいて上位にランクインし続けた。また、この曲は和田アキ子・甲斐よしひろ・大西ユカリと新世界・RIKI(竹內(nèi)力の“雙子の弟”、とされる)がカバーした。但しRIKI版は『タイガー&ドラゴン 大阪挽歌(エレジー)』のタイトルで、歌詞が異なる。
2009年、ユニバーサルJとメジャー契約でメジャーデビューすることとなり、同時(shí)に、新レーベル「ダブルジョイ・インターナショナル」を立ち上げた。