日期:2004-11-6
日期:2010-3-24
Save The One,Save The All (劇場版「BLEACH 地獄編」)
日期:2010-12-1
日期:2010-8-11
T.M.R.LIVE REVOLUTION 11-12-CLOUD NINE-
日期:2012-09-12
日期:2011-04-20
T.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)は、西川貴教が音楽活動(dòng)をする際に名乗っている名稱の一つであり、彼自身のソロプロジェクトの名稱である。しばしばT.M.R.やTMなどと略される。 彼自身の公式ファンクラブ「turbo」に関しても、2006年までこのプロジェクトが西川貴教の音楽活動(dòng)の大部分を占めていたため、turboの企畫するイベントのほとんどはT.M.R.関連のものとなっていた。そのため、turboは事実上「T.M.R.のファンクラブ」と見ることが出來る。 小簡介 "Takanori Makes Revolution"(貴教が革命を起こす)の頭文字を取ったものである。西川貴教という一個(gè)人の名義ではなく、プロデューサーや関係者、また全てのファンも一緒に歩んでいくという意味が込められたプロジェクトの名稱である。 この実態(tài)について、以前に西川自身が例えとして「自分はクリスマスツリーの一番上の星で、みんなはツリーだ」と説明したことがある。 なお、この名稱は淺倉大介自身がミュージシャンとしての修行を積んだTM NETWORKに由來していると思われる(ただし、淺倉本人は著書の中で「似ている事には後で気が付いた」と述べている)。ラジオやテレビなどで淺倉大介本人が語っていたことだが、彼は小室哲哉に「TMの名前を使わせてもらいます」と直接電話をした。ちなみに、西川も後にLOVE LOVEあいしてるに出演した際に「Get Wild」をカヴァーした。 大事件 デビューからブレイクまで 精力的なライヴをこなした上でのデビューを飾ったが、それでも音楽業(yè)界のトップアーティストの一員と呼ぶにはまだまだであった。転機(jī)が訪れたのは、アニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のテーマソングとして起用された3rdシングル「HEART OF SWORD ~夜明け前~」のロングヒット(オールナイトニッポンを擔(dān)當(dāng)するのもこの時(shí)期と重なる)。これをきっかけに、メジャーな音楽番組に多數(shù)出演する機(jī)會(huì)を得る事となり、フジテレビ「HEY!HEY!HEY!」にプロデューサー淺倉大介とともに初出演を果たす。ルックスからは想像もつかないおもしろキャラクターでお茶の間にも浸透。披露される軽妙なトークや圧倒的なパフォーマンスが話題を呼び、5thシングル「HIGH PRESSURE」でついにオリコンベスト10入りを果たす。6thシングル「WHITE BREATH」ではミリオンセラー、3rdアルバム「triple joker」では250萬枚のセールスを記録。このアルバムでのツアー「King of joker」は、デビュー前に淺倉大介、木根尚登、葛城哲哉などと回ったイベントツアーライブ「What Jam?」と同じ全國主要都市のホールを回るツアーでファイナルは日本武道館。この公演のラストで歌った実質(zhì)のデビュー曲ともいえる「BLACK OR WHITE?」では感慨のあまり泣き崩れてしまう。(この映像は同ツアー収録のDVDに記録されている。) 一躍トップアーティストの仲間入りを果たし、デビューから足掛け1年半で人気を不動(dòng)のものにする。その後も順調(diào)にヒットシングルを飛ばし、2年連続の紅白歌合戦出場も果たす。またライブ活動(dòng)においても全都道府県ツアーを行う。そして4thアルバム「The Force」の発表ののち、それまでの活動(dòng)の集大成ともいえる、淺倉大介をサポートに迎えての東京ドームライブ2daysの後、前述の「3つの約束」を全て達(dá)成することが出來たT.M.Revolutionは1999年3月18日に突如その活動(dòng)を"封印"すると発表する。 the end of genesis T.M.R. evolution turbo type Dとしての活動(dòng) 前項(xiàng)のように、1999年春からT.M.Revolutionとしての活動(dòng)を封印し、「the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D(略稱:T.M.R-e)」名義でトータルプロデューサーの淺倉大介と共に活動(dòng)する事となった。 このユニット名は「創(chuàng)世期は終わり、T.M.Revolutionは西川と淺倉の手によって進(jìn)化する」という意味で捉えることが出來る?!窽.M.Revolutionを更に"進(jìn)化"させるための準(zhǔn)備期間」として設(shè)けられ、この時(shí)期に発表した楽曲・衣裝はそれまでとは一転、どちらかというと夜をイメージしたようなクラシカルな曲調(diào)が多く、ピアノをメインとしたような楽曲でライヴでも座っての鑑賞を求めるなど、それまでのスタイルを壊す畫期的な展開を見せた。淺倉の當(dāng)時(shí)の発言によると、この活動(dòng)は「(アイドルとしての)固定イメージの確立されてしまったT.M.R.の枠をはずす」ことを目的にしたものであったようである。結(jié)果的にはその目的は果たされ以後の幅広い活動(dòng)につながることになったが、その反面話題性に欠けたり、プロモーションの頻度が落ちたことなどから、この時(shí)期よりCDの売り上げも以前に比べ減少するなどしている。(ただし、それでもそれぞれ15萬枚ほどの売り上げを継続して維持しており、ファン層の絞り込みや固定化が成功したと見ることも出來る。) また、このT.M.R-eで新たな試みとして意外にも初のアリーナツアーを決行。淺倉と共に全國を回る。またミュージカル「リトルショップオブホラーズ」の主演、TBSドラマ「ビューティフルライフ」へ出演するなど様々な試みもこの時(shí)期に行われた。絶頂期は過ぎたものの多忙の様子は相変わらずの様で、ドラマの出演とアリーナツアーの時(shí)期が重なり、體調(diào)的に消耗が激しいためか、ツアー明け後に予定されていたハワイでのファンイベントは中止となってしまった。 T.M.R-e後の活動(dòng) 2000年3月のライブを契機(jī)にT.M.Revolutionとしての活動(dòng)を再開し、CDリリース、ライブ活動(dòng)を精力的にこなす。2001年リリースのシングル『BOARDING』の発売前後に西川がT.M.R.の意義に苦悩し以後のリリースが滯ったこともあったが、2002年からは西川自身がT.M.Revolutionのセルフプロデュースを開始することによりまた活動(dòng)の頻度が高くなる。2003年には、デビュー時(shí)から所屬していたアンティノスレコードからエピックレコードジャパンに同一レコード會(huì)社內(nèi)でレーベル移籍(アンティノスレコード自體は彼が移籍する前(2002年)にエピックレコードジャパンに吸収合併された。2004年に運(yùn)営終了)を行い、その後も新天地で様々な音作りを模索している。 2000年・2002年に行なわれた夏の野外ライブ「SUMMER CRUSH」では東京ビッグサイト・橫浜スタジアム・大阪WTCオープンエアステージなどで數(shù)萬人を動(dòng)員、2003年12月には日本の男性ソロアーティストとしては初めての試みである、男性限定ライブを渋谷クラブクアトロで決行。以後、この男性限定ライブは毎年恒例となっている。また、2005年1月に発売した8thアルバム「vertical infinity」では、CD音源として初めて淺倉大介のベーシックアレンジを基に、西川自身が編曲した曲を発表するなど、新たな試みが続いている。 近年ガンダムSEEDシリーズに多數(shù)の楽曲を提供している所為か、以前の活動(dòng)を知らない者に、T.M.R.がアニメソングを?qū)熼Tとして活動(dòng)する歌手と勘違いされることもあるが、それは必ずしも正しくはない。 デビュー10周年プロジェクト 2005年中期以降、デビュー10周年に向けて様々な活動(dòng)が行われた。まず「西川貴教のオールナイトニッポン」プロデュースで、T.M.Revolutionの歴代の衣裝を著たハローキティとのコラボレーション作品が全國の東急ハンズ・ファミリーマートで販売された。そして21stシングル「vestige -ヴェスティージ-」リリースの際は、新宿ステーションスクエアにて楽曲初披露の初ゲリラライブを決行。また、本來T.M.RevolutionのCD音源には、淺倉大介の手によるデジタルサウンドが用いられているが、リクエストセルフカバーベストアルバム「UNDER:COVER」では、CD音源初のライブアレンジを収録するなど、新たな試みが続いている。 10周年を迎えた以後も継続して様々な活動(dòng)が行われ、デビュー記念日である2006年5月13日にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて記念パレードを、2006年6月7日にはシングル21作全てを収録したベスト盤『The Complete Single Collection of T.M.Revolution 1000000000000-billion-』(オリコンアルバムチャート初登場1位)が発売、さらに6月21日にはシングル21作とLOVE SAVER、Meteor、Zipsの映像作品を全て収録したベストDVDも発売された。そして8月、満を持して8年ぶりの日本武道館、及び大阪城ホールでのライブが実現(xiàn)した。また、自身の誕生日である9月19日には再びユニバーサル・スタジオ・ジャパンで、今度はピーターパンのネバーランドとのコラボライブを行った。なお、11月9日より東京・大阪・名古屋・仙臺(tái)・福岡の5都市を巡る衣裝展「TIME SLICE DECADE」を開催。年末恒例のファンクラブ會(huì)員限定ライブは過去最多の全10公演を果たした。 西川はこの年の一連の活動(dòng)を振り返り「2006年を持ってT.M.Revolutionの活動(dòng)に一區(qū)切りがついた」という內(nèi)容の発言をしており、以後1年間は彼自身が參加するバンドabingdon boys schoolや、2度目のミュージカルである「ハウ・トゥー・サクシード」の活動(dòng)がメインに置かれ、T.M.Revolutionは充電期間に入った。 日本以外での活動(dòng) 2003年8月、アメリカ合衆(zhòng)國メリーランド州ボルチモアにて開催されたアニメコンベンションイベント・「OTAKON 2003」にて招待を受け、初の海外ライヴを行う。そして、2004年5月、2度目の米ライブのため渡米。カリフォルニア州のアナハイムで行われたエンターテイメントイベント、「Pacific Media Expo」に、日本のJ-POP代表として參加し、イベント前夜祭のスペシャルライブとして日本人初のアリーナライブをアナハイムアリーナにて決行。さらに2008年4月にはニューヨークのマンハッタンで行われたアメリカ東海岸唯一のポップカルチャーのコンベンション「New York Comic Con 2008」に招待され、ここでもライブを行った。いずれのライブも大成功を収めた。また、ライブ活動(dòng)だけでなく米國・カナダにてCDリリース・握手會(huì)・現(xiàn)地ファンとの交流・プロモーションなども積極的にこなしており、6thアルバムの「coordinate」以降オリジナルアルバムが立て続けにリリースされている。また、韓國でも現(xiàn)地Sony BMGにより、數(shù)枚のCDが発売されている。 T.M.Revolution再始動(dòng) 2008年4月7日から放送されるアニメ「ソウルイーター」の主題歌、「resonance」を6月11日にリリースした。新曲は2年10ヶ月ぶりとなる。さらに前述のニューヨークでのライブや、2008年5月に行われるhide追悼ライブイベント「hide memorial summit」にも參加することが決定し、活動(dòng)は再び活発化する。hide memorial summitでは、2日間のうち初日のゲストとして紹介されていたが、2日目にもサプライズゲストの形で參加している。9月からは約2年振りの全國ツアーの開催も決定した。 更多>>